こんにちはネリゴです。
今回は、潮風を浴びながらのんびり洞海湾沿いの若松を散策したいと思います。車で通ることはあるけれど、なかなか散策ってしませんよね。。
なので…景色を楽しみながら、歩いて自分なりに発見したものについて紹介しようと思います。
その後、絶景スポットを求めて、街を見下ろせる場所へと行ってきました!
いやはや、歩いてみないとわからないことが多いですな~。
・若松散策
若松は明治以降、日本一の石炭積出港として大いに賑わいました。
前の記事:◆【後編】直方の街の魅力を紹介します! でも紹介しました、直方・飯塚などで採掘された石炭を遠賀川→堀川と船で輸送していました。
明治24年(1891年)に筑豊興業鉄道(若松~直方間)が開通すると、石炭輸送は鉄道へと変わりました。
その後も若松は、鉄道の起点として、全国第一の石炭積出港として繁栄したのです。
若松駅から洞海湾沿いの南海岸通りには、当時の面影を残すレトロな建物や石炭積出港としての遺産を見ることができます。
●若戸大橋
瀬戸大橋・レインボーブリッジ・明石海峡大橋・関門橋など日本の長大吊橋の先駆けとなった若戸大橋は、戸畑区と若松区を結ぶ628mの巨大な橋です。
若松と言ったら、真っ先に思いつくのが若戸大橋です。この街のシンボル的な建造物です。
鮮やかな深紅が印象的で、1962年の建設当時には「東洋一の夢の大吊橋」とまで呼ばれていました。
橋の真下から見上げると、ダイナミックさに圧倒されます。
●弁財天上陸場
大正6年(1917年)年頃、当時の若松市によって建設されたものです。ここは、沖仲仕(ごんぞう)をはじめ洞海湾で活躍した人々の乗降や荷役の場でした。
平成8年に一部改修をしていますが、ほぼ当時のまま復元されています。
ごんぞう… 沖の本船で石炭荷役をする沖仲仕のことを北九州ではそう呼びます。
●出入船舶見張り所跡
昭和6年(1931年)に設置され、不正入港を監視するための施設として使用されていました。
何か、建物がナナメになっているような…笑
●杤木ビル
杤木商事が大正9年(1920年)に建設した本社ビルで、3階建の鉄筋コンクリート造の最先端のビルでした。
このビルは、石炭の中継、積出港として栄えた若松から、海運事業を通じて国際流通を担い、日本の近代化を下支えした民間企業の旧本社ビルなのです。
●旧古河鉱業若松ビル
筑豊地方における石炭事業展開のため古河鉱業が若松に進出した際に、若松支店のオフィスビルとして大正8年(1919年)に建設されました。
明治期から昭和期の特徴を残すデザインとなっており、細部で古典建築の装飾を用いています。また、交差した道路の隅の円形の塔屋が印象的なデザインとなっています。
・高塔山公園
高塔山公園は、高さ124mの高塔山の山頂にある公園です。市街地近くにある高台のため、展望台からの夜景は格別です。
展望台からは若戸大橋や八幡・戸畑・小倉までの工場群などを一望することができます。
街がどのような地形なのか、しっかりと確認することができます。
私が行ったのは昼だったのですが、夜景が激熱なスポットとして有名です。夜に大切な人を連れて訪れると、凄すぎる夜景に感動のあまり、仲がより一層深まるかもしれません。
気になる人がいるのでしたら、アタックチャンス!です。
実に北九州市は、長崎市・札幌市とともに「日本新三大夜景都市」に認定されております。市内には、日本夜景遺産が6か所あります。
八幡東区【皿倉山】・若松区【高塔山】・小倉北区【足立公園】・門司区【門司港レトロ展望室】・小倉北区【小倉イルミネーション】・戸畑区【戸畑祇園大山笠】
高塔山公園 / 福岡県北九州市若松区大字修多羅
・まとめ
今回は、のんびりと洞海湾沿いを散策し、【若戸大橋】・【レトロな建物や石炭積出港としての遺産】・【高塔山公園】を紹介しました。
若戸大橋・レトロな建物や石炭積出港としての遺産は、若松駅から若戸大橋方面へ洞海湾沿いを歩いて発見することができます。
※若松駅から出入船舶見張り所跡まで、約15分(徒歩)で着きます。
紹介しました場所以外にも、たくさんの遺産が残っていますので、事前にマップ等を確認してから巡るのが良いかと思います。
そして、歩いた街を見下ろせる高塔山公園で、感動体験をしましょう!
やっぱり、旅って、散策って、最高!
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