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しまなみ海道が自転車の聖地になった歴史:橋に専用道路が併設された背景

しまなみ海道が自転車の聖地と呼ばれる理由は、海の上を走れるからだけではない。最大の特徴は、本州と四国を結ぶ高速道路の橋に、自転車と歩行者が通行できる道が併設されていることにある。…

しまなみ海道が自転車の聖地になった歴史:橋に専用道路が併設された背景

ただし、その通路は最初から観光用に組み込まれていたわけではない。西瀬戸自動車道は、もともと自動車専用道路として計画された。そこに島民から、歩行者や自転車も橋を渡れるようにしてほしいという要望が寄せられ、生活道路としての自転車・歩行者道の併設が実現していった。

向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島をつなぐ区間では、橋と島内の一般道を組み合わせて、自転車で海峡を越えられる。後から観光客を呼ぶために道路へ設備を足したというより、島の暮らしに必要な移動路が、時間をかけて観光ルートとして評価されるようになった。

しまなみ海道 サイクリング 聖地 理由を考えるとき、観光キャンペーンだけを見ていると本質を取り逃がす。先にあったのは、島と島をつなぐ生活の道だった。自転車の聖地という名前は、その構造が後から発見され、地域の価値として磨き上げられたことで定着していったのである。

高速道路計画から生活道路へ:自転車道併設を勝ち取った島民の熱意

自動車専用道路として始まった計画

しまなみ海道の正式名称は、西瀬戸自動車道である。本州四国連絡道路の一つとして、広島県尾道市と愛媛県今治市を橋で結ぶ計画が進められた。

瀬戸内海の島々を連続して渡る道路は、物流や産業、地域間の移動を大きく変えるインフラとして期待された。一方で、計画の中心に置かれていたのは自動車交通だった。橋を渡る車の流れをどうつくるか、港を経由していた輸送をどう効率化するかが、まず考えられたのである。

島の住民にとっては、橋が完成すれば便利になるという単純な話ではなかった。橋が自動車専用になれば、歩行者や自転車、原動機付自転車は従来どおりフェリーに頼らなければならない。島から島へ通勤・通学する人や、買い物、通院、農産物の運搬で移動する人にとって、橋の存在がそのまま生活の自由につながるとは限らなかった。

ここに、高速道路の計画と島民の生活実感とのずれがあった。

フェリー中心だった島の移動

橋ができる前、島と島の間を移動するにはフェリーが重要な役割を担っていた。フェリーは人や自転車を運べる一方、出航時刻が決まっている。天候の影響も受ける。車なら便数や積載の条件を気にしながら移動し、自転車や徒歩の場合も、港までの距離と船の時間を合わせなければならない。

観光客が一度だけ感じる不便なら、旅の予定を変えれば済む。しかし島民の場合、学校や職場、病院、商店へ向かうたびに海を越える必要がある。橋を渡って自分の足で移動できるかどうかは、単なるレジャー設備の有無ではなく、生活圏の広さを左右する問題だった。

橋が自動車だけのものになれば、島の間の移動手段は大きく変わらない。車を持たない人、自転車で移動する人、徒歩で港へ向かう人にとっては、巨大な橋が完成しても、日常の選択肢が増えるとは限らないからだ。

この事情から、橋に歩行者や自転車の通路を設けてほしいという要望が出された。自動車専用道路の計画に、島の側から別の交通の論理を加えようとしたのである。観光客向けのサイクリングコースを新設してほしいという話ではなく、島民が日常の移動に使える道路を確保してほしいという要求だった。

因島大橋で残された仮設通路

転機として語られるのが、因島大橋の建設をめぐる判断だ。

橋の工事では、資材の搬入や作業員の移動に使う仮設の通路が必要になる。工事が終われば撤去される予定だったこの通路を、完成後も自転車や歩行者が使える道として残せないか。そうした要望を、当時の瀬戸田町長と因島市長が関係機関に働きかけたとされる。

この交渉の重要な点は、観光振興を目的に新しい施設を求めたわけではないことだ。島民が日常的に使える移動路を、橋の構造の中に確保しようとした。自動車のための橋に、歩行者や自転車のための道を併設するという考え方が、ここで具体的な形になった。

結果として、因島大橋には自動車の車道とは分けられた自転車歩行者道と、原動機付自転車が通行するための道が設けられた。後のしまなみ海道を象徴する構造は、観光ブランドを先に想定して整えられたものではない。生活の必要から、橋の使い方が広げられたのである。

この経緯を知ると、しまなみ海道の自転車道を単なる観光設備として見ることはできなくなる。自転車で橋を渡れることは、現在の旅行者にとっては大きな魅力だが、出発点にあったのは、島で暮らす人が海の向こうへ移動するための現実的な要望だった。

「自転車道併設」が次の橋へ受け継がれる

因島大橋で採用された考え方は、その後の橋にも受け継がれていった。生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋、伯方島と大島を結ぶ伯方・大島大橋、今治側の来島海峡大橋など、ルートを構成する主要な橋には、自動車道と分離された自転車・歩行者用の通路が設けられている。

ただし、すべての区間が同じ方式ではない。橋の形式、建設時期、周辺道路との接続条件によって、通路の位置や幅、料金所付近の構造は異なる。橋の横に独立した空間を設けるものもあれば、車道と上下に分かれた構成のものもある。

尾道側の新尾道大橋は、自転車道が併設されていない区間として知られている。そのため、尾道駅から向島へ向かうときは、渡船を使うのが一般的だ。自転車で走るルートの入口にフェリーが残っていることは、一見すると不完全にも見える。しかし、これもまた、しまなみ海道が単純な一本道ではなく、橋と島の道路、渡船を組み合わせた地域交通のルートであることを示している。

尾道の市街地から向島へ渡船で移動し、そこから自転車で島を走り始める。この導入は、一般的な高速道路のサイクリングコースとはかなり違う。都市部の駅から港へ進み、船で島へ渡り、島内の道路を通って次の橋へ向かう。最初から、しまなみ海道の旅は道路だけで完結していない。

しまなみ海道の自転車道は、観光のために橋へ後付けされた設備ではない。島民が橋を生活の道として使うために、計画の中へ加わった通路だった。

1999年の全線開通と日本初の海峡横断自転車道の誕生

全線開通で「連続して走れる」道になった

西瀬戸自動車道が全線開通したのは、1999年5月1日である。尾道市から今治市まで、自動車で連続して移動できる本州四国間のルートが完成した。

自転車にとって重要だったのは、高速道路が開通したことだけではない。複数の橋と島内道路をつなぎ、自転車で海峡を連続して横断できる道が成立したことに意味があった。

自転車で走る場合、尾道駅から今治側までの距離は、ルートの選び方によっておおむね70キロメートル前後になる。自動車が走る西瀬戸自動車道の距離と、自転車ルートの距離は一致しない。自転車道は高速道路そのものではなく、橋の自転車歩行者道と島内の一般道をつないで構成されているからだ。

この違いは、しまなみ海道の性格をよく表している。高速道路の脇をただ走るのではない。橋で海を渡り、島に下り、集落や海沿いの道路を通り、また次の橋へ上がる。自転車は自動車のための直線的な移動から外れ、島の暮らしが残る場所を通過していく。

日本で初めての海峡横断自転車道

しまなみ海道は、日本で初めての海峡横断自転車道として紹介されてきた。ここでいう「海峡横断」は、単独の橋を自転車で渡れるという意味ではない。複数の海峡を越え、島々を経由しながら、本州と四国の間を自転車でつなぐルートとして成立している点が特徴である。

自転車道が橋に併設されていても、島に下りたところで一般の道路と切れてしまえば、長距離のルートにはならない。しまなみ海道では、橋の上だけでなく、島内の道路が次の橋までの区間を担っている。海峡を越える構造と、島の中を走る道路が連続したことで、観光コースとしてのまとまりが生まれた。

橋の上では、海面から高い位置を走る感覚がある。島に下りると、今度は海沿いの集落や農地、港の近くを通る。橋と一般道の落差があるからこそ、単なる橋梁見学では終わらない。走る速度で景色が変わり、島ごとに旅の手触りが変わっていく。

開通当初から、しまなみ海道を自転車で走る人はいた。しかし、現在のように全国からサイクリストが集まる目的地として認識されていたわけではない。道路が完成したことと、そこに人が訪れる理由が社会的に共有されることの間には、時間が必要だった。

島民の道から観光ルートへ

全線開通直後のしまなみ海道には、生活道路としての性格が色濃く残っていた。橋を渡るのは、島を行き来する住民であり、長距離サイクリングを目的とする一部の愛好家だった。

観光地として見ると、当時は現在ほど案内が整っていたわけではない。どの橋へ向かえばよいのか、島内のどの道を使うのか、休憩できる場所はどこか。初めて訪れる人が自力でルートを組み立てる必要があった。

ただ、これは弱点であると同時に、しまなみ海道の個性でもあった。一般的な観光道路のように、見どころを短い区間に集めたのではない。海峡、集落、農地、港、商店、寺社、展望場所が、島の生活道路の中に分散している。

自転車で走ることで、観光施設だけではない瀬戸内の風景に触れられる。橋を渡る目的で訪れても、途中の商店や港、柑橘畑の景色に足を止めることがある。こうした寄り道の余地が、しまなみ海道を「見る場所」ではなく「走りながら過ごす場所」に変えていった。

台湾GIANT社との連携と「サイクリストの聖地」としてのブランド確立

2012年の台湾訪問が示した方向性

しまなみ海道が自転車観光の目的地として大きく動き始めるきっかけの一つが、2012年の愛媛県による台湾との連携だった。

当時の愛媛県知事・中村時広氏は台湾を訪問し、自転車メーカーのGIANTと、同社の創業者である劉金標氏にしまなみ海道を紹介した。単に観光地を売り込むのではなく、自転車文化を持つ地域と、自転車で走ることのできる瀬戸内のルートを結びつける試みだった。

台湾では、自転車を使った観光や長距離走行がすでに広く知られていた。日月潭周辺にも湖をめぐるサイクリングコースがあり、自転車を観光の中心に置く地域づくりが進んでいた。しまなみ海道にとっては、自分たちの地域にある橋や海岸線を、海外の自転車文化の中で捉え直す機会になった。

この連携が重要だったのは、行政の観光宣伝だけでは届きにくい層へ情報が届いたことだ。自転車を購入し、走る場所を探し、遠方へ出かける人たちに対して、しまなみ海道を自転車の目的地として示せるようになった。

姉妹自転車道協定と聖地碑

2014年10月、しまなみ海道と台湾の日月潭を走るサイクリングコースの間で、姉妹自転車道協定が結ばれた。調印の場となったのは、大三島の多々羅しまなみ公園である。

公園には「サイクリストの聖地碑」が設けられた。多々羅大橋を望む場所に立つこの碑は、しまなみ海道を象徴する風景の一つになっている。

ここで大切なのは、碑が聖地を生み出したというより、すでに存在していたルートの価値を目に見える形にしたことだ。橋を自転車で渡れること、島をつないで走れること、海外のサイクリング地域と交流できること。その複数の意味を、訪れた人が一目で理解できる場所として碑が置かれた。

「聖地」という言葉は、観光地の名前としては強い。場合によっては、宣伝のために後から貼り付けた印象を与える。しかし、しまなみ海道の場合は、橋梁の構造と地域の歴史が言葉を支えている。少なくとも、名前だけが先行していたわけではない。

GIANTとの連携が変えた旅行者の入口

GIANTとの連携は、ブランド名を掲げるだけの取り組みではなかった。自転車を持っていない旅行者でも走れるように、レンタサイクルの環境が整えられ、島々にサイクルステーションが置かれた。自転車を運ぶ方法、返却場所、休憩場所を事前に考えなければならない旅から、現地で借りて走り出せる旅へと、入口が広がったのである。

もちろん、しまなみ海道は誰にとっても簡単なコースではない。橋へ上がるたびに坂があり、島内の道路では交通量のある区間もある。季節や風向きによって体感は変わり、橋の上では海風を受ける。レンタサイクルがあっても、距離や返却時間を考えずに走れるわけではない。

それでも、自転車旅行の経験が少ない人が挑戦しやすくなった効果は大きい。サイクリスト向けの設備が増えたことで、長距離を走る人だけでなく、橋を一つか二つ渡る人、島の飲食店や景色を目的に走る人も受け入れられるようになった。

走る道から滞在する地域へ

自転車観光が定着すると、しまなみ海道の価値は橋の通行だけでは説明できなくなる。島で食事をする、柑橘類を使った菓子を買う、港町を歩く、宿に泊まる。自転車が地域内を移動する手段になることで、観光客の滞在場所が橋の周辺だけでなく、島内へ広がっていく。

島ごとに景色や産業の印象も異なる。向島では尾道との近さを感じ、因島では造船や柑橘の産地としての表情がある。生口島では海沿いの景観や寺社を組み込みやすく、大三島では多々羅大橋とサイクリストの聖地碑が強い目印になる。伯方島、大島では、橋へ向かう道と海岸線の変化が走行の印象をつくる。

自転車道を整備しただけなら、利用者は通過するだけかもしれない。サイクルステーション、案内、休憩場所、宿泊施設、飲食店との接続が加わって、ルートは地域をめぐる仕組みになった。ここで初めて、橋のインフラが観光資源として働き始めたのである。

しまなみ海道のブランドは、橋を観光施設に変えたものではない。橋を渡る人が島に下り、島で過ごす理由を重ねたことで、生活道路が滞在型のルートへ変わっていった。

CNN選出とナショナルサイクルルート指定:世界が認めるサイクリングコースへ

CNNによる紹介

2014年、CNNの旅行情報サイトが、しまなみ海道を世界の優れたサイクリングコースの一つとして紹介した。世界の有名な自転車ルートと並べて取り上げられたことで、国内の愛好家を中心に知られていた道が、海外からも訪問先として意識されるようになった。

国際メディアによる評価が効いたのは、景色が美しいからだけではない。海峡を越える橋、島をつなぐ連続性、比較的長い距離を自転車で走れる構造、そして日本の地方を通過しながら旅ができる点が、一つのコースとして理解されたからだ。

自転車旅行者にとって、目的地を選ぶときは、単に絶景があるかどうかだけでは決まらない。安全に走れるか、道がつながっているか、補給や休憩ができるか、途中で輪行や返却が可能か。しまなみ海道は、こうした複数の条件を橋と島の道路によって満たしていた。

海の上を走る景色は写真で伝えやすい。一方で、橋を下りて島の道路を走り、次の橋へ向かう構造は、写真一枚だけでは伝わりにくい。海外メディアによる紹介は、個別の景色だけでなく、複数の島と橋を自転車でつなぐ旅そのものを知らせる機会になった。

ナショナルサイクルルート制度の意味

2019年、国土交通省はナショナルサイクルルート制度を創設した。一定の水準を満たすサイクリングルートを国が指定し、走行環境や案内、休憩、受け入れ体制などを総合的に評価する制度である。

しまなみ海道は、創設時の第1次指定ルートに選ばれた。この指定は、単に知名度の高い観光地として認められたという意味ではない。サイクリストが継続的に走れるルートとして、道路のつながりや案内表示、休憩施設、宿泊との接続などが評価されたことを意味する。

ナショナルサイクルルートに指定されたことで、しまなみ海道は個別の橋や展望台ではなく、一つのサイクリングルートとして扱われるようになった。スタート地点からゴール地点までの全体をどう案内するか、途中の島をどう楽しんでもらうかという視点が、より明確になった。

ここには、観光地としての評価とは別の意味がある。景色がよくても、案内が分かりにくく、休憩できる場所が少なく、宿泊や自転車の整備に対応できなければ、長距離のサイクリングルートは続かない。道を走る人の体験を、出発前から到着後まで支える仕組みが必要になる。

国際評価と制度評価は別の役割を持つ

CNNの紹介とナショナルサイクルルート指定は、どちらも知名度を高めたが、役割は同じではない。

CNNの紹介は、海外の旅行者に向けて、しまなみ海道を魅力的な目的地として伝える力を持つ。海を渡る自転車道という分かりやすい特徴が、写真や記事を通じて広がった。

一方、ナショナルサイクルルートの指定は、走行環境を維持・改善するための国内制度上の評価である。国の基準に照らしてルートを点検し、案内や受け入れ体制を整えるきっかけになる。前者が入口を広げ、後者がルートとしての信頼性を支える関係だ。

「世界に認められた」という表現だけでは、しまなみ海道の評価は少し単純化される。海外メディアの発信力と、国内の道路・観光インフラの積み重ねが重なって、国際的なサイクリングコースとしての位置づけが固まったと見るほうが近い。

聖地という呼び名が定着した背景

サイクリストの聖地という言葉が定着した背景には、複数の時間軸がある。

  • 自動車専用道路として計画された橋に、島民の要望を受けて自転車と歩行者の通路が併設されたこと
  • 因島大橋で示された生活道路としての考え方が、後の橋へ受け継がれたこと
  • 1999年の全線開通で、島々を連続して走れる道が生まれたこと
  • 2010年代に、行政や地域が自転車観光を明確な戦略として扱ったこと
  • 台湾との連携によって、自転車文化の国際的な接点ができたこと
  • 海外メディアと国の制度によって、ルートの価値が広く認識されたこと

どれか一つだけでは、現在の評価には届かなかった。自転車道があっても、案内やレンタサイクルがなければ旅行者は走りにくい。観光戦略があっても、橋を安全に渡れる構造がなければルートは成立しない。しまなみ海道は、先にインフラがあり、その上に観光の仕組みが積み重なった。

しまなみ海道の構造的特徴:橋梁併設の仕組みとルートの全貌

高速道路と自転車道は同じルートではない

しまなみ海道 サイクリング 道路 仕組みを理解するうえで、まず押さえたいのは、自転車が高速道路の車道を走るわけではないということだ。

自転車は、自動車用の車道から分離された自転車歩行者道を通る。橋を下りた後は、島内の一般道や県道などを走り、次の橋の入口へ向かう。つまり、しまなみ海道は「高速道路に自転車レーンがある道」ではなく、「高速道路の橋梁部と一般道路を組み合わせた自転車ルート」である。

橋の入口には、自転車や原動機付自転車が進むための分岐が設けられている。橋の高さまで上がるため、島側の取り付け道路には緩やかな坂が続く。橋の中央部だけを見れば平坦に感じても、橋へ上がる区間で負荷がかかる。長距離走行では、この橋ごとの上り下りが全体の疲労に影響する。

高速道路と自転車道が並んでいても、利用者が同じ動線を走るわけではない。自転車は車道から分けられた通路を進み、島へ下りた後は一般道へ接続する。この「分離される区間」と「地域の道路を共有する区間」が連続していることが、しまなみ海道の仕組みを理解するポイントになる。

橋ごとに異なる通路の形

主な橋と自転車ルートの関係は、次のように整理できる。

橋・区間自転車での通行ルート上の特徴
尾道〜向島渡船の利用が一般的新尾道大橋は自転車道がなく、尾道側の入口に独自の接続がある
因島大橋自転車・歩行者用通路を通行橋の構造の中に分離された通路が設けられている
生口橋自転車・歩行者用通路を通行生口島と因島を結び、島内道路との接続がよい
多々羅大橋自転車・歩行者用通路を通行生口島と大三島を結ぶ代表的な景観区間
大三島橋自転車・歩行者用通路を通行島内の道路と次の区間をつなぐ
伯方・大島大橋自転車・歩行者用通路を通行伯方島と大島の間を結ぶ橋梁群
来島海峡大橋自転車・歩行者用通路を通行今治側の大きな海峡を越える終盤の区間

この表からも分かるように、すべての橋が同じ構造ではない。新尾道大橋のように自転車道がない橋があるため、尾道駅から走り始める場合は、最初の海峡を渡船で越える方法が基本になる。

一方で、向島以降は、橋と島内道路をつないで今治側まで進める。尾道の市街地から渡船で向島へ渡り、そこから自転車道をたどる流れは、しまなみ海道ならではのスタート方法だ。

6島を通過する道

自転車ルートが通る主な島は、向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島の6島である。

島と島の間には橋があり、橋から下りた後は各島の道路を走る。ここが、橋だけを渡るサイクリングコースとの大きな違いだ。海峡部では橋の高さと風を感じ、島内では集落や農地、海沿いの道に入り込む。交通のための道路と観光のための道路が完全に分離されているのではなく、地域の日常に観光客が入っていく構造になっている。

島内区間では、標識に従って走ることが基本になる。海沿いを進める場所もあれば、橋へ向かうために内陸側へ入る場所もある。景色を優先するか、距離を抑えるか、飲食店や休憩場所に寄るかによって、同じ島でも走り方は変えられる。

この自由度が、しまなみ海道の魅力であると同時に、一般的な観光施設とは違う難しさでもある。決められた順路を歩けば終わる場所ではない。地図を見ながら、体力と時間に合わせて進む必要がある。

島内を走る区間があるからこそ、旅の目的も一つに固定されない。全線を走り切ることを目標にしてもよいし、特定の橋や島を選んでもよい。海沿いの食事処へ立ち寄る、柑橘を使った土産を探す、港や寺社をめぐるといった過ごし方もできる。自転車道は、目的地そのものというより、島の中へ入っていくための入口になる。

橋を走る体験が連続する

しまなみ海道の象徴は、海面から高い位置にある橋の上を自転車で走れることだ。橋へ向かう坂を上り、車道とは分離された通路に入り、海峡を横切る。左右に広がる瀬戸内の島と船の動きを見ながら、橋を下りて次の島へ進む。

この体験が一度だけなら、景観のよい橋を渡る観光として完結する。しかし、しまなみ海道では橋が何度も現れる。島に下りたと思えば、また次の橋へ向かう。その繰り返しが、ルート全体のリズムをつくっている。

橋ごとに見える景色も異なる。海峡の幅、島の形、船の航路、橋の主塔やケーブルの見え方が変わる。橋の構造を眺めるだけでなく、橋へ近づく道、橋を渡る時間、下りた後の島の風景まで含めて一つの旅になる。

ここが、しまなみ海道と展望台をめぐる一般的なドライブ観光との違いでもある。車で橋を通過すれば短時間で移動できるが、自転車では橋へ上る道や島内の道路も旅の一部になる。速度が遅い分、風や坂、集落の距離感まで含めて地域を感じやすい。

走行の難しさも魅力の一部

しまなみ海道は、平坦な海沿いを延々と走るコースではない。各橋には取り付け道路があり、橋の高さまで上る必要がある。橋を渡った後には下りがあり、次の島ではまた別の橋へ向かう。

そのため、距離だけでコースの難易度を判断するのは適切ではない。自転車の種類、風、気温、休憩の取り方、橋をいくつ渡るかによって、体感は変わる。全線を一日で走る人もいるが、島ごとに区切って宿泊し、景色や食事を楽しむ旅にも向いている。

レンタサイクルを使う場合は、借りる場所と返す場所を先に確認しておきたい。片道利用に対応しているか、返却時間に間に合うか、自転車の種類を選べるかは、旅行の組み立てに関わる。橋の上だけを走るつもりでも、島内の道路を含めれば、予定より時間がかかることがある。

自転車専用道路があるからといって、すべてが専用道で守られているわけではない。島内では一般車両と同じ道路を走る区間もある。信号や交差点、生活車両との接点もあるため、道路の状況を見ながら走る必要がある。この現実を含めて、しまなみ海道は観光地のアトラクションではなく、地域の道路を使うサイクリングルートなのである。

料金と通行の仕組み

橋を渡る区間では、自転車や原動機付自転車に通行料金が設定されてきた。ルートを走る際は、料金の扱いや無料化の期間、支払い方法などを出発前に確認したい。制度や運用は変わる可能性があるため、現地の案内を確認するのが確実だ。

自転車歩行者道は、名前のとおり歩行者も利用する。橋の上では景色に目を奪われやすいが、歩行者や対向する自転車との距離を取り、速度を抑える場面がある。通路が分離されていることは安全上の大きな利点だが、幅が車道ほど広いわけではない。

また、橋の上では風が強く感じられることがある。特に海峡を横切る区間では、出発時に穏やかでも、時間帯や天候によって走りやすさが変わる。自転車道の整備は、風や坂をなくすものではない。走る人が自然条件を受け止めながら進めるように、交通上の安全な通路を確保したものだ。

この点も、しまなみ海道を「自転車専用の観光施設」とだけ考えないほうがよい理由である。自転車歩行者道、島内の一般道、渡船、港、商店がつながり、地域交通の一部として機能している。その上に、旅行者が走りやすい案内やレンタサイクルの仕組みが重ねられている。

構造が先、称号は後

しまなみ海道が自転車の聖地になった理由は、派手な観光施設が一つあるからではない。

出発点にあったのは、自動車専用道路として計画された橋に、島民の生活のための通路を併設するという判断だった。因島大橋で示された自転車歩行者道併設の考え方は、その後の橋へ受け継がれた。1999年の全線開通によって、尾道と今治の間を島々と橋でつなぐ自転車ルートが成立した。

その後、愛媛県や自治体、観光関係者が既存のインフラを自転車観光の資源として見直した。台湾の自転車文化との連携、GIANTとの交流、姉妹自転車道協定、多々羅しまなみ公園の聖地碑、レンタサイクルや案内の整備が、旅行者の入口を広げた。CNNによる国際的な紹介と、2019年のナショナルサイクルルート指定は、その価値をさらに外へ伝える役割を果たした。

順番が重要である。最初から観光のために聖地を設計したのではない。生活道路として必要とされた通路が橋に加わり、橋と島内道路が一つのルートになり、そこへ地域の観光戦略が重なった。

しまなみ海道では、構造が先にあり、称号が後から付いた。自転車の聖地という呼び名を支えているのは、橋の上から島の生活道路へ続く、途切れない道の歴史である。

だから、しまなみ海道を走るときに見えてくるのは、観光用に整えられた景色だけではない。橋のたもとにある集落、フェリーが担ってきた移動、島で続く農業や漁業、車道とは別に設けられた自転車歩行者道。これらが一つの旅の中に同居している。

しまなみ海道 サイクリング 聖地 理由を一言で答えるなら、海峡を渡れる自転車道があるからだ。ただし、その道が生まれた背景までたどると、答えはもう少し深くなる。自動車のための高速道路として計画された橋に、島民の生活を支える道が加わった。その道が、時間をかけて世界から走りに行く価値のあるルートとして見いだされたのである。

現在のしまなみ海道を支えているのは、橋の美しさだけではない。自転車と歩行者が通れる構造、島内道路との接続、渡船を含む地域交通、休憩やレンタサイクルの環境、そして島で過ごす理由の積み重ねだ。生活のために確保された通路が、観光のための価値を持つようになった。その歴史こそが、しまなみ海道をほかの scenic road とは違う自転車の聖地にしている。

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よくある質問

なぜしまなみ海道は自転車の聖地と呼ばれるのですか?
橋に自転車・歩行者用の通路があり、複数の島と橋を自転車で連続して走れるためです。もともとは島民の生活道路として整備された道が、後から観光ルートとして評価されました。
しまなみ海道の自転車道は高速道路を走るのですか?
自転車は高速道路の車道ではなく、車道から分離された自転車歩行者道を通ります。橋を下りた後は、島内の一般道や県道などを走って次の橋へ向かいます。
しまなみ海道はいつ全線開通しましたか?
西瀬戸自動車道の全線開通は1999年5月1日です。これにより、尾道市から今治市までを橋と島内道路でつなぐ自転車ルートが成立しました。
尾道駅からしまなみ海道を自転車で走るにはどうしますか?
新尾道大橋には自転車道がないため、尾道駅から向島へ渡る際は渡船を使うのが一般的です。向島からは橋と島内道路をつないで走ります。
しまなみ海道で自転車が通る主な島はどこですか?
主な島は向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島の6島です。島と島の間を橋で渡り、橋を下りた後は各島の道路を走ります。

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